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学校の沿革のページです。内容は、廃校にともない校庭に建てられた石碑文を引用したものです。 現在、学校跡地は民間の管理するところとなり、当時の風景とはすっかり 様変わりしています。 ※ その記念碑は、グラウンド北端の県道沿いに見つける事が出来ます。 大屋町立南谷中学校 【昭和28年〜昭和48年】 の沿革【昭和28年3月】 南谷村南谷小学校、明延小学校に併設の南谷・明延両中学校を統合。 南谷中学校として4月26日現在の跡地に新校舎が落成しました。 当時、新様式による木造校舎として但馬各地から見学者が絶えなかった そうです。 【昭和30年3月】 町村合併により大屋町立南谷中学校となる。 【昭和30年4月〜昭和47年3月】 ※ この間のことは触れられていませんでした。 【昭和47年4月】 大屋・南谷両中学校を名目上統合する。 ※ 本校は南谷校舎なんて呼ばれました。 【昭和48年3月】 大屋中学校に実質統合するため3月31日をもって廃校になりました。 ※ 私たちは卒業までここで学校生活を送ることが出来ました。 『その歴史20年間で、スポーツにおいては県下にその名を馳せ、剛健 にして誠実な南谷教育を樹立し2846名の有能な人物を輩出しました。』 ’99頃の跡地の風景
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